夢について憶えていること

 

私にとって夢とは、自分にものすごく密接しているものだ。白昼夢をよく見るし、幻想と夢と現実を混ぜてしまうことも少なくない。私には、現実に生きている感覚があまりないのだと思う。あえて分ける必要性も感じない。どうせ、夢も幻想も現実の一部だもの。

 

今朝夢を見た。手首を切る夢。

私は、夢を、平行世界の「私」と繋がる空間だと思っている。夢に登場する私はどれも、この世界とは別のパラレルワールドに生きる「私」なのだと信じている。でも、「私」が私である以上、その世界の「私」も私なのだ。残念なことに。

朝起きたときにはもうすでに忘れてしまっているような夢に登場する「私」は皆、ひどく幸福で、どこかの世界にいる私と繋がりたいなんて思わない程に満たされているのだと思う。逆に言えば、朝になっても私が「私」を憶えているとき、私たちはどうしようもなく寂しいのだと思う。

手首を切った「私」もそうだったのだと思う。

洗面所でひとりだった。馬鹿みたいに大きい包丁を持って、ほとんど躊躇わずに切った。すぐに包丁を白いタオルで包んで、包丁についた血が乾いていくのをぼうっと見ていた。でも、母や妹が帰宅するのを察知した「私」は、包丁を急いで洗って拭いて、元の場所に返していた。そして何もなかったかのように「おかえり」と笑った。

そこで目が覚めた。

死ぬ夢や自傷する夢を見ることは珍しくないのだけれど、今朝はなんだかやりきれなくて、午前中もずっと「私」のことを考えていた。

ものすごく寂しかった。

傷ついているサインを、「私」がいとも簡単に消し去って、普段通りの笑顔で過ごし始めたからからだ。洗面所に差し込んだ夕方の光は、とっても暗かったのに。

ぼんやりと、この「私」だけはどこにもいないでほしいと思った。はじめから存在していませんように。ただの夢でありますように。

 

この世界に生きる私が皮肉にも、そんなことを願った。馬鹿みたいだと思った。