裏庭程度の逃避行

 

- あの日の約束 -

いつも百合のように微笑んで
嵐のようにたくさん話して
じっと押し黙ったままの誰かを太陽のように慰める

そんな君を見ていて思うことは
きっと
周りの様子に気を配るひとほど
過去に傷ついたことがあるひとほど
諸刃の剣のような優しさを持つひとほど
心配されることを遠慮して
いつもいつも
微笑んで話して他の誰かを心配している

君が一人
その完璧な笑顔の下に閉じ込めて
誰にも言えず抱えていることを
私には見せても良いのに

君は遠慮しすぎだよ

秋の林
冷たい手を握って言ったら

君はやっぱり
いつもの微笑を作ろうとして
でも
少し
歪めた

と思ったときには、君の唇は
またあの弧を描く

そんなことない
と言い掛けた君が
淋しげに微笑んで、優しい瞳を潤ませていたから

ごめんね
やっぱり、って思ったの
君はとうの昔に限界だったのね
我慢しすぎて、泣きたくても泣き方がもうわからないんだ
でもね、君はひとりじゃないから
絶対に永遠に、私は君から離れないから

君は安心して
わんわんかっこ悪く泣いて
自分勝手に怒って
苛立ったら無愛想になって
悲しいときはじっと黙って
悲しいよって知らせてよ
私はすぐに君をぎゅって抱き締めて
あたたかいところへ連れていってあげるからね

君は
ゆっくりと
少し戸惑いながら
不器用に、でも温かく
私の手をぎゅっと握り返した

ねえ、君の涙をあとで拭いてあげる
でも今はまだ、こうして繋がっていたいね

 

 

 

- 微笑んで、君は -

後ろから凜とした声で名前を呼ばれ
振り向くと
白い吐息の向こうで微笑む君が手を振って、
タータンチェックのマフラーを顎から下ろした

モーツァルトのレクイエムを聴いていたイヤフォンを外し、手を振った
突然冷風に当たった耳が凍てつく

雪が真っ白で綺麗だね
君が言った

雪がいくら白くて綺麗だとしても
汚れた世界は汚れているようにしか見えないよ
と私

空は灰色で
埃のような雪が舞っていた

君は朗らかに笑い飛ばした
そんなことない
この世界は綺麗だよ

能天気に聞こえた君の言葉に
ふっと、苦い味が私を包む

本当に、いつも幸せそうだよね
そう呟くと

君は大きく大きく
微笑んで

ありがとう

と言った

褒めていないのに、ありがとうだなんて

そう不満気に思って、はっとした

じゃあ
どういうつもりで言ったんだろう
この子の
どんな言葉を
どんな表情を
待っていたんだろう
幸せ

いう言葉で騙して

君も、そうでしょ

君は
真っ直ぐな瞳で
また微笑むから

……うん
ありがとう

不器用な私が俯いて
笑っていたのを知っていたように
君は満足気に頷いた

真っ白だね

微笑んで、君は
小さく囁いた

その声は二月の叫びに掻き消された
揺らいだ景色
また泣き叫ぶように
吹き荒れた雪混じりの風
瞬く暇もなく
真っ白な世界
何処までもいつまでも
この世界は白い
君と過ごした世界は
どうしようもなく
綺麗で

もう君は居ない
それでもこの胸のなかに
また
微笑んで、君は

 

 

 

- 裏庭程度の逃避行 -

燦々と眩しい陽に思わず眉をひそめた
煌く視界の先に、大きなクヌギの樹の下で
退屈そうに宇宙を見つめる
君を見つけた

君の名前を呼ぶ
君の嫌いな君の名前

ピアノの鍵盤に似た睫毛が揺れている、
見つめすぎたかな
取り繕ったように笑う

嫌だねえ、眩しいね

……うん。

そう小さく呟いて、君が目を伏せた先には何が映っているのだろう
その後に何も続かない言葉は、君がどんな心を飲み込んだからなのだろう

違う世界に連れていってあげたいよ
君のこと
ここじゃない、もっと別の世界
どこか別の、もっと優しいところに
そんなこと、どれだけ言いたくても言えない

君にそんな脆い期待は抱かせられない

固く閉ざされた唇
君、本当はどこかに行きたいのに
行きたいって、言わないんだ

星の舞う瞳に映る景色に
君が恋い焦がれている世界に
連れていってあげたいよ
君のこと
ほんとだよ
ほんとにほんとさ
ここじゃない、別の世界

君と二人で、いきたい世界