Fall

 

fall:秋、という言葉の響きが好きだ。落ちる。緩やかに、冬の奈落に向かって落ちる。そんな意味合いを仄めかすような、この英単語が好きだ。少しずつ枯れていく木々を見つめながら、少しずつ色褪せていく空気に纏われながら、世界が密やかに、されど確実に、死んでいくのを感じるのが好きだ。秋が、やってくる。

廃墟を愛している方々に尋ねて分かったのは、廃墟とは、「生物学的死」と、「忘却されるという意味での死」の狭間に在るものだということだ。建物としての役割を終え、其処を使う人々が去り、死んだ建物。建物の生物学的死と、この世の全ての人々から忘れられる二度目の死、の間に位置するものが廃墟なのだ。廃墟は、私たちがどうやっても見ることのできない、自分が死んだ後の世界を見せてくれる。だからこんなにも、美しく映るみたいだ。

自分が若くして死んだ後の葬式の風景を何度も夢想してきた(die youngー余談だが、私はこの言葉も好きだ)。私が自ら死ぬとき、おそらく最も甘美な風景はまさに自分の葬式の風景、自分が死んだ後の風景なのに、私はそれを見ることができない。これが「自殺すること」のジレンマ。
でも廃墟はその風景を見せてくれる。それでいて人間や動物とは違って無機物なので、客観的に見られる。傍観者でいられる。玻璃の向こう側の景色として、ただ「鑑賞」できる。

これまで、マンションの高層階に住むことがほとんどだったからなのか、「落ちる」想像もよくする。たとえばプール、海、湖。広い水面に脚から落ちる。身体が水の中に落ちたと同時に私の長い髪がゆらりと浮く。流石に地面に落ちる想像は、余程追い詰められているときしかしなかったけれど(生々しいので)。一度、どこまでも落ち続けてみたいな、と思う。落ちるところまで落ちていって、廃墟になれない私たちは、ただただ落ちて、地面に叩きつけられて、さよなら。



裏庭程度の逃避行

 

- あの日の約束 -

いつも百合のように微笑んで
嵐のようにたくさん話して
じっと押し黙ったままの誰かを太陽のように慰める

そんな君を見ていて思うことは
きっと
周りの様子に気を配るひとほど
過去に傷ついたことがあるひとほど
諸刃の剣のような優しさを持つひとほど
心配されることを遠慮して
いつもいつも
微笑んで話して他の誰かを心配している

君が一人
その完璧な笑顔の下に閉じ込めて
誰にも言えず抱えていることを
私には見せても良いのに

君は遠慮しすぎだよ

秋の林
冷たい手を握って言ったら

君はやっぱり
いつもの微笑を作ろうとして
でも
少し
歪めた

と思ったときには、君の唇は
またあの弧を描く

そんなことない
と言い掛けた君が
淋しげに微笑んで、優しい瞳を潤ませていたから

ごめんね
やっぱり、って思ったの
君はとうの昔に限界だったのね
我慢しすぎて、泣きたくても泣き方がもうわからないんだ
でもね、君はひとりじゃないから
絶対に永遠に、私は君から離れないから

君は安心して
わんわんかっこ悪く泣いて
自分勝手に怒って
苛立ったら無愛想になって
悲しいときはじっと黙って
悲しいよって知らせてよ
私はすぐに君をぎゅって抱き締めて
あたたかいところへ連れていってあげるからね

君は
ゆっくりと
少し戸惑いながら
不器用に、でも温かく
私の手をぎゅっと握り返した

ねえ、君の涙をあとで拭いてあげる
でも今はまだ、こうして繋がっていたいね

 

 

 

- 微笑んで、君は -

後ろから凜とした声で名前を呼ばれ
振り向くと
白い吐息の向こうで微笑む君が手を振って、
タータンチェックのマフラーを顎から下ろした

モーツァルトのレクイエムを聴いていたイヤフォンを外し、手を振った
突然冷風に当たった耳が凍てつく

雪が真っ白で綺麗だね
君が言った

雪がいくら白くて綺麗だとしても
汚れた世界は汚れているようにしか見えないよ
と私

空は灰色で
埃のような雪が舞っていた

君は朗らかに笑い飛ばした
そんなことない
この世界は綺麗だよ

能天気に聞こえた君の言葉に
ふっと、苦い味が私を包む

本当に、いつも幸せそうだよね
そう呟くと

君は大きく大きく
微笑んで

ありがとう

と言った

褒めていないのに、ありがとうだなんて

そう不満気に思って、はっとした

じゃあ
どういうつもりで言ったんだろう
この子の
どんな言葉を
どんな表情を
待っていたんだろう
幸せ

いう言葉で騙して

君も、そうでしょ

君は
真っ直ぐな瞳で
また微笑むから

……うん
ありがとう

不器用な私が俯いて
笑っていたのを知っていたように
君は満足気に頷いた

真っ白だね

微笑んで、君は
小さく囁いた

その声は二月の叫びに掻き消された
揺らいだ景色
また泣き叫ぶように
吹き荒れた雪混じりの風
瞬く暇もなく
真っ白な世界
何処までもいつまでも
この世界は白い
君と過ごした世界は
どうしようもなく
綺麗で

もう君は居ない
それでもこの胸のなかに
また
微笑んで、君は

 

 

 

- 裏庭程度の逃避行 -

燦々と眩しい陽に思わず眉をひそめた
煌く視界の先に、大きなクヌギの樹の下で
退屈そうに宇宙を見つめる
君を見つけた

君の名前を呼ぶ
君の嫌いな君の名前

ピアノの鍵盤に似た睫毛が揺れている、
見つめすぎたかな
取り繕ったように笑う

嫌だねえ、眩しいね

……うん。

そう小さく呟いて、君が目を伏せた先には何が映っているのだろう
その後に何も続かない言葉は、君がどんな心を飲み込んだからなのだろう

違う世界に連れていってあげたいよ
君のこと
ここじゃない、もっと別の世界
どこか別の、もっと優しいところに
そんなこと、どれだけ言いたくても言えない

君にそんな脆い期待は抱かせられない

固く閉ざされた唇
君、本当はどこかに行きたいのに
行きたいって、言わないんだ

星の舞う瞳に映る景色に
君が恋い焦がれている世界に
連れていってあげたいよ
君のこと
ほんとだよ
ほんとにほんとさ
ここじゃない、別の世界

君と二人で、いきたい世界

 

さよならムーン・チャイルド

 

長い時間をかけて、失恋をしたのだと思う。

梨果のように。でも、そもそも失恋とはそういうものなのだと思う。特に私のように、激しい感情や大きすぎる愛によって動くのではない人間にとっては。冬の陽だまりのような恋に触れて、微睡んだまま無為に午後を過ごすように恋に敗れて、時間とともに静かに失っていくのだ。そうやって、いつの間にか私は、失恋をしていた。

 

最後に会った日、彼女は盛大に遅刻してきた。

前日の夜中から返信がない。おそらくまだ寝ているんだろうと駅の改札前で考えながら、集まっては散っていく人々を見つめていた。約束の10時を15分ほど過ぎたとき、彼女から電話がかかってきた。

寝起きの声。いつもより低く掠れている。案の定、夜遅くまで飲み会だったらしい。すぐに行く、本当にごめん、と大袈裟すぎるくらいに謝る彼女を宥める。

パフェを食べて待っているから、大丈夫。のんびりおいで。本当にゆっくりで良いから。

10回くらい言い聞かせて電話を切る。しかし彼女のことだから死ぬほど急いで来るんだろうな、と苦笑いして、適当に入ったカフェで時間を潰すことにした。

流石にこのパフェを食べ終わるまでは来ないだろうと踏んでいたけれど、予想より遥かに早く彼女が私の前に現れたのは、パフェを半分食べ進めた頃だった。待ち合わせをしていた駅が彼女の最寄りだったことを除いても、あまりの到着の早さに軽く腰を抜かした。

遅くなってごめん。パフェ奢る。

などと言い出した彼女を本気で止めつつ、その真剣な剣幕に笑ってしまった。

 

何も食べていないでしょう、何か食べたら、と言ったのだけれど、彼女は、こんなに待ってもらったのだから一刻も早く行こう、と私の腕を引っ張った。私が待っていた時間は、たった35分だったのに。

 

彼女が約束に遅れたことはない。彼女ほど律儀なひとに出会ったことはない。

初めて二人で遊んだとき(堺にミュシャの展示を観に行こうと誘ってくれた)、黒いワンピースに緩く髪を巻いた彼女が素敵で、私は浮かれて、梅田のスペインバルで赤ワインとパエリアを鱈腹飲み食いした夜も、

秋のある日、彼女が「良い赤ワインを貰ったから一緒に空けよう」と言って持ってきてくれたそれが、彼女の誕生日にアルバイト先から贈られたものだったときも、

昨年のクリスマスイブも。

一度だって彼女は、私との約束に遅れたことはなかった。

 

忘れもしない、2019年のクリスマスイブ。

家に泊まりにきた彼女に、私はサプライズを計画していた。「私たちはもう大人だからサンタさん来ないね」なんて言って雰囲気を作り、クリスマスの朝、綺麗にラッピングしてもらったÍPSAの化粧水を彼女の枕元に置いておいた。朝が弱い彼女がゆっくりと起きてプレゼントに気が付き、「昨日はサンタさん来ないって言ってたのに」と言いながら嬉しそうにしてくれているのを見て、ようやく埋め合わせができたと安堵した。

というのも、彼女はいつだって「楽しかったから」「もてなしてくれたから」と何かと理由をつけて多く払ってくれることが多かった(もちろん、毎回全力で断るのだけれど彼女に押し負けてしまうのだ)。だから、せめてクリスマスプレゼントくらいは、と密かに用意していたのだった。

ところが。彼女は、「こんなにもてなしてもらってばかりだし、お返しがしたいから欲しいもの教えて」と言って全く引かない。遂に私が折れて、少しでも安いものをと考えて、THREEのネイルポリッシュのMOON CHILDというカラーを指定したのに、「安すぎるから別の色も合わせて二本買った」と言ってプレゼントしてくれた彼女に、もう勝てない、と笑った。

 

彼女はいつも、言葉と行動を持って気持ちを示してくれるひとだった。だから私も、自分の気持ちは言動とともに示していた。

 

 

話を戻す。

この日の目当てはカラヴァッジョの展示だった。

彼女が一つの作品とじっくり向き合いながら、その表現や技術に感嘆したり、軽く冗談を言ったりする横顔が大好きだった。一緒に美術館に行ける友人は少ない。そうでなくても特別な彼女の存在は、恐ろしいほどに貴かった。

 

真剣にカラヴァッジョの作品を鑑賞していた彼女が不意に私の手を握ったとき、稲妻に貫かれたような衝撃が走った。心臓の音が彼女に伝わってしまったら、何もかもおしまいになってしまうと思った。私は限りなく平静を装って、彼女の手を握り返した。

互いに何も言わず、そのまま淡々と作品を見ていった。立ち止まって感想を小さな声で言い合って、肩が触れて、その度に彼女の細い指の感触が心臓にまで達しそうだった。《ホロフェルネスの首を斬るユディト》へ向かって彼女に手を引かれて歩く。いつもは緩く巻かれている彼女の髪が、絹糸のように真っ直ぐだった。

出口が見えると、私の方から手を離した。これ以上繋いでいたら、私の不自然が彼女に伝わると思い怖かった。

 

ミュージアムショップで買い物をして、カフェで甘いものを食べて、夜、彼女がよく行くという居酒屋へ行った。

 

隣り合わせでサザエを食べながら、彼女に、彼氏とは上手くいっているの、と尋ねた。

彼女はその日一番の笑顔で頷いた。本当に幸せそうだった。付き合う前から相談を受けていたから、彼女がいま、どんなに幸せか、容易に想像できた。

 

彼女は、私とクリスマスを過ごした次の日に、アルバイト先の男の子に告白されて付き合うようになった。

 

幸せでいてね。世界で一番。

 

ふと溢れた言葉は、一切の嘘偽りのない本心だった。彼女は少し照れ笑いをして、あなたも幸せでいて、と言った。

 

 

23時を目前に、私と彼女は居酒屋を出て駅へ向かった。

彼女は、中央改札ではなく小さな改札へ私を案内してくれた。いつもありがとう、今日も特別に楽しかった、と潤んだ瞳で彼女は笑った。

しばらく黙って見つめ合っていた。私の名残惜しさが彼女に伝播したように、彼女が私に一歩近付いて、私を抱き締めた。

 

バイバイ、と、私は綺麗に笑えていただろうか。帰り道、月を見上げると切なくて泣いてしまった。

 

 

あれからすぐ、世界中が大変な状況になって、今現在まで彼女とは一度も会っていない。互いの誕生日にメッセージを送り合ったくらいで、あるとき「愛してる」とLINEがきて動揺したりしていたけれど、

 

 

あの頃の不思議な距離感は消えて、ただの友達になった。

 

自分が失恋をしたことに気が付いたのは、イブサンローランで一年ぶりにマニキュアを買ったときだった。昨年のクリスマス、彼女からマニキュアを貰って以来、馬鹿みたいにずっと同じ色を使っていた。まるで、爪をその色に染め続けることで、彼女の気持ちも染まると信じていたかのように。

 

彼女がくれたのは、THREEのMOON CHILDとGOLDEN CLOUD。あの夜の月の切なさも、金色の雲の如く神々しいまでに眩しかった笑顔も、忘れたくない、忘れられない。

 

忘れられるわけがない。

 

 

最後に彼女と美術館へ行って、手を繋いで、抱き締められた日から10ヶ月が経った。今でも彼女を思い出すと切なくなる。彼女に会いたくて堪らなくなる。

 

それでも、時間をかけて、失恋をした。

 

 

一年ぶりに買ったマニキュアの色は、真っ白だった。

 

 

 

夢について憶えていること

 

私にとって夢とは、自分にものすごく密接しているものだ。白昼夢をよく見るし、幻想と夢と現実を混ぜてしまうことも少なくない。私には、現実に生きている感覚があまりないのだと思う。あえて分ける必要性も感じない。どうせ、夢も幻想も現実の一部だもの。

 

今朝夢を見た。手首を切る夢。

私は、夢を、平行世界の「私」と繋がる空間だと思っている。夢に登場する私はどれも、この世界とは別のパラレルワールドに生きる「私」なのだと信じている。でも、「私」が私である以上、その世界の「私」も私なのだ。残念なことに。

朝起きたときにはもうすでに忘れてしまっているような夢に登場する「私」は皆、ひどく幸福で、どこかの世界にいる私と繋がりたいなんて思わない程に満たされているのだと思う。逆に言えば、朝になっても私が「私」を憶えているとき、私たちはどうしようもなく寂しいのだと思う。

手首を切った「私」もそうだったのだと思う。

洗面所でひとりだった。馬鹿みたいに大きい包丁を持って、ほとんど躊躇わずに切った。すぐに包丁を白いタオルで包んで、包丁についた血が乾いていくのをぼうっと見ていた。でも、母や妹が帰宅するのを察知した「私」は、包丁を急いで洗って拭いて、元の場所に返していた。そして何もなかったかのように「おかえり」と笑った。

そこで目が覚めた。

死ぬ夢や自傷する夢を見ることは珍しくないのだけれど、今朝はなんだかやりきれなくて、午前中もずっと「私」のことを考えていた。

ものすごく寂しかった。

傷ついているサインを、「私」がいとも簡単に消し去って、普段通りの笑顔で過ごし始めたからからだ。洗面所に差し込んだ夕方の光は、とっても暗かったのに。

ぼんやりと、この「私」だけはどこにもいないでほしいと思った。はじめから存在していませんように。ただの夢でありますように。

 

この世界に生きる私が皮肉にも、そんなことを願った。馬鹿みたいだと思った。

 

 

 

伯爵令嬢になりきれない

 

大学に、親友と呼べるひとはひとりしかいない。

襟足をばっさり切ったショートカットで、美人で、素直なひと。本人に伝えたかどうか忘れたけれど、はじめて大学生としてキャンパスに足を踏み入れたオリエンテーションのとき、通路を挟んで隣に座っていた彼女があまりに綺麗で、顔を向けられなかった。もっとも、次第に仲良くなっていくにつれて、なんだこのうるさくて変な奴、と思うようになっていくのだけれど。

優しくて、声が大きくて、真面目。そんなところが、自分と正反対で、眩しくて、すきだった。

 

私も彼女もLINEでのやりとりが苦手だった。大学が春夏学期を通してオンライン授業になると決まってからは、それまで毎日顔を合わせていたのが一気に会えなくなったので、ときどき電話をしたり、手紙を送り合ったりするようになった。

 

元気ですか?私は元気です。

そんな常套句から始まる手紙を書いたのは、中学生以来のことだった。無垢で純真で、私にはもったいない言葉であるように感じて、その後に何を続けたら良いかわからなかった。

何を書いただろう。たしか、最近は読書と刺繍をして過ごしていますとか、君に会えなくて寂しいです、とか。暗い話は明るく書いて、何をしているのか気になった、と添えた。

生真面目な彼女。すぐに返事がきた。

 

伯爵令嬢へ、と書いてあるのに再読して気がついて、思わず吹いた。でも、読み終えた私の胸の内は重かった。

彼女は、最近何をして過ごしているの、という私の問いに、やっぱり真面目に答えてくれていた。

 

絵を描いているよ。

あなたには多分一度も言ったことがないけど、絵画じゃなくて、漫画っぽいやつ。下手の横好きってね。

 

少し不安そうに、遠慮がちに紡がれたその言葉に、自分の体温がざっと下がったのを感じた。どうやら傷ついているらしい自分を、心の底から軽蔑した。理由はわかっていた癖に。わかっていたうえで、自身の「伯爵令嬢」という身分を捨てたくなくて、あえて何も言わなかっただけだ。私は彼女と違って、狡猾で、ずるい。

 

私は他人に見せる「私」を、限りなくコントロールしている。気取っている。そうやってひとに、自分を「憧れさせている」のだ。

 

本当に、ずるい。

 

私のすきなもの。読書。芸術鑑賞。詩を書くこと。ヴァイオリンは弾くのも聴くのもすきだ。刺繍。最近始めたのはカリグラフィー。旅行。

嘘ではない。嘘ではないけれど。

 

私はあなたみたいに「崇高」な趣味はもっていないから。

そんなことを彼女に言われたことがある。趣味が崇高ってどういうこと、なんて純粋気取りの言葉を吐くことは絶対にしないけれど、最近Twitterで似たような言葉を使っているひとを見かけた。趣味が崇高であるということの本質を明確に言い当てることはたしかにできないかもしれない。けれど、その意味するところはわかる。たとえば漫画より詩集、日本のアニメよりフランス映画、テレビゲームよりチェス。こんな風に、崇高と呼ばれるであろう趣味を、私はいくつか挙げることができる。

 

そして私に関してさらに性質が悪いのは、何が崇高だと思われるかを知っているうえで、「崇高」な趣味ばかりをかいつまんで「趣味です」と、にっこり笑って言うところだ。まるで、それが全てであるかのように。

 

上述した「すきなもの」はどれも嘘ではないけれど、「本当」でもない。私は日常生活のなかで息をするように嘘をつく。そうやって自意識を守っている。「私」という張りぼての城をつくりあげて、ひとりで閉じ籠もる。そうやって逃げられなくなって苦しくなって勝手に死にたくなるのだけれど、自業自得すぎてひとかけらの憐憫の情も湧かない。

 

私はアニメも漫画もすきだし、純喫茶ばかりを訪れているわけではなくて時折マクドナルドにも行くし、テレビ番組も観る。自粛期間中、一日アニメを観て過ごしたりしていた。ただ、そういう自分の一面を言わなかったり、嘘をついたりして誤魔化している。伯爵令嬢を気取って。

 

美しいものだけを見て生きていきたい。

その言葉も嘘ではない。嘘ではないけれど、どこか取り繕われている。

こんな風に気取って気取って、庶民の癖に「伯爵令嬢」であるかのように振舞ってきたから、親友は自分のすきなものを、私と共有することを躊躇ったのだ。私が彼女に、引け目を感じさせていた。私がすきだと公言しているものが、どれもこれも崇高だから。彼女は、私は漫画なんて読まないと思っている。

 

嫌になる。自分が。

彼女の使った伯爵令嬢という言葉に他意なんてない。私の歪んだ性格が、こんな結論を出していることはわかっている。素直な彼女とは正反対の、歪んでいて、醜い。私は、私は。

 

親友からの手紙を何度も読み返して、ひとつひとつ墓標を立てるように、心に刻みつけた。

 

私はありのままの私でいることが必ずしも正義だとは思っていない。なりたい私を演じているだけだとしても、他者に演技だとバレさえしなければ私はそういう人間に「なる」と信じている。実際、そんな風にしてこれまで生きてきて、今の私は過去の私に比べて、随分となりたい私に近づいたと思う。

 

なんて、言い訳でしかないけれど。

 

昔、Twitterのひとに「あなたの気取り方が嫌い」と言われたことがある。よくわかる。いまだに変わらない私はただただ最低で、本当に、価値のない人間。

 

目を閉じた。見たくないものから一瞬目を背けた。

そして、深く息を吸い込んだ。

 

 

親友よ。もう少し待ってほしい。君にまた手紙を書くから。梅雨が終わって夏がきたら、君に返事を出す。

 

話してくれてありがとう。私も漫画、すきだよ。

 

私が隠していた所為で、君に気を遣わせてごめん。

君がすきなものを、今まで聞けていなかったのが私はショックだった。自分に対して腹が立って仕方なかった。

 

だって、君は私に、趣味はないって、言ってた。それが悩みだって。

 

大学に入ってはや2年半。もう3年生だ。感情が浮かんだり沈んだり面倒な私の隣で、ずっと笑っていてくれる親友。私たちは仲が良いと思っていた。知らないことなんてないと思っていた。馬鹿みたいだ。何を言っているのか。他ならぬ私自身が、つまらない秘密を守っていた癖に。

 

伯爵令嬢なんて嫌だ。そんな肩書きなんか要らないから、君のすきなものをもっともっと知りたい。

 

ーーー親友へ。

 

この間読んだ漫画が、とってもおもしろかったの。

あとね、私も昔はよく、漫画を描いてた。友達と絵を送りあったりしていたの。

 

今まで変な意地張ってごめん。

 

君のすきなものを、ぜんぶぜんぶ知りたいよ。

君に隠していたこと、嘘をついていたこと、たくさんあるんだ。

 

いつか正直に話せるだろうか。親友はきっと笑ってくれるけれど、私は、まだ、この鎧を脱ぐのが少し怖い。

 

私って、なんだろう。私は、いつになったら、私をすきになれるのかな。

 

 

 

ムンクの思春期と心臓の悪い魔女

 

私は仄暗い子どもだった。

小学生のときからずっと勉強を強要されてきたからかもしれない。私のような子どもは少なくないだろうけれど、父が東京で一人暮らしをしている私の家庭では、母の存在が絶対であり、私は母がなによりも怖かった。

深夜二時まで母に怒鳴られながら塾の宿題をして、成績が落ちれば車の中で永遠に叱られる。そんな日々を小学六年の夏まで繰り返して、ある日、父のアメリカ赴任が決まった。

母は、私の中学受験を辞めた。そこに私の意思はほとんどなかった。

 

アメリカで三年間暮らした。その間に、私たち家族の関係性は大きく変わったように思う。というのも、日本では絶対的な力をもっていた母が、アメリカにおいてはたいへん無力な存在になったからだ。

母以外は現地の学校や職場で英語を使うようになり、それぞれ日常会話には困らない程度にまで話せるようになった。母だけが英語を話すことができなかった。母は私のことを放任するようになった。

けれどアメリカの自由で残酷で美しい日々は私にとって重荷ではあったものの、重圧などでは決してなかった。毎日好きなだけ本を読んで、ヴァイオリンを弾き、詩や小説を書いて過ごした日々。あの頃から私は、「伝説の少女」になることーーーすなわち、大人になる前に死ぬことーーーを夢想して生きてきたように思う。

そして今、21歳になったばかりの私は相変わらず、ふとした瞬間や眠れない夜に、死の想像に囚われて息ができなくなることもあるけれど、「死ねない」という想いが強い。生きること。それは本当に、本当に重い荷物だった。それでもあの日、19歳最後の日に、私自らが背負うと決めたことだ。

 

私の意志で、生きるということ。

 

 

19歳最後の日。

未成年と成年の狭間。ただの数字とはいえ「大人」になることに耐えられなかった。誰も私のことを知らない場所に行こう。いてもたってもいられなくなって、その日の早朝、赤い口紅にiPhone、ハンカチと財布だけを小さなチェーンバッグに入れて、金沢行きの特急列車の当日券を買った。

特急列車に揺られながら当時の恋人に報告すると、「何しに行くの?」と訊かれた。死にに行く、とは言わなかった。

金沢駅は思っていたよりも人がたくさんいて、普段大阪で暮らしている癖に人混みに酔ってしまう私は逃げるように水辺を求めて、寂れた沿線に飛び乗り、誰もいない砂浜を目指した。車窓の景色をぼんやりと見つめながら、なぜ私はこんなところにいるのだろう、と考えた。

 

私は、こんなところまで、いったい何をしに来たんだろう。

 

不思議と、死のうという気持ちは失せていた。

代わりに、これまで私が避けてきたいろいろな「重荷」ーーー大人になるということ、責任を負うということ、選択をすることーーーを背負うことのできる私にならなければならない、と思った。生まれ変わらなきゃ。私は、19歳の私を殺して、20歳の私にならなければ。

 

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たどり着いた駅は玩具みたいだった。当然のように無人で、プレハブ小屋のような簡素すぎる駅。結構歩いてようやく見つけたコンビニでハサミを購入して、勇ましく海へ向かう。

 

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春の海は、優しい香りがした。

 

 

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誰もいなかった。その後もほとんど人が来ることはなく、私はひとり、美しい海と光のなかでゆらゆらと風に揺られていた。

私は波打ち際を歩いているような感じで生きてきた。生と死、現実と幻想、本当の私と取り繕った私。

本物の波打ち際を歩きながら、この姿勢は今後も変わらないだろうと思った。

 

 

過去の自分なんて他人だよ。

そう言い切った私がいた、そしてこの日もそうだ。19の私を殺して、綺麗でかっこいい大人に「生まれ変わろう」として、こんなところに逃げてきている。

それは違うよ。

と言われた。過去の自分を積み重ねて今の自分があるのだと。

 

ーーー私は自分の人生を背負うのすら面倒だったのだな。

 

友人に、あんたは重いもの持てないもんね、と言われたことがある。人を巻き込んだ選択ができないよね、とも。

重たくなりたくなかったのだ、薄っぺらい自分としか付き合ってこなかったから、友情とか愛情とか優しさとかその他もろもろのいろんな大切なものたちを、全部全部綿毛みたいに吹き飛ばしてきたから。耐えられない。

何かを背負うのが大嫌いで重くてずっと逃げてきた私は、無知で無粋で無邪気だった。ずっと子どもでいたかった。重いものは親に託して蝶々を追いかけて笑うだけの子どもでいたかった。

 

なに甘ったれてんだよ。

 

 

 

 

 

砂浜に座って、私は、長かった髪を肩まで切った。コンビニで買った紙切りハサミで。

すとんと消えたその重みに思わず笑ってしまった。私は、いつまで経っても思春期の真っ只中にいるみたいだ。しばらく笑いが止まらなかった。

短い髪に戸惑いながら、でもすぐに慣れて、「これから」のことを考えた。逃げるなとは言わないよ。私は私に呟いた。私は自分に甘いから。逃げたくなったらまたこうして逃げればいい。そのたびにまた戻ってこられたらいい。私を見失わないでいれば、それでいい。大切なひとたちを大切にできるのならば、それで。

 

 

しばらく海を眺めた後は、ひとり金沢を楽しんだ。

 

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恋人にだけお土産を買って、落下する夕方に追われるように、魔女がいると噂の純喫茶ローレンスへ向かった。ずっと前から気になっていたのを最後にふと思い出したのだ。


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開店時間は毎日違うらしいけれど、怪しげなコンクリートの階段を上って扉を開けると、店内はまだ仄暗く、ベルの音に反応した魔女が、いらっしゃい、と声を上げた。

 

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ちょうど今来たばかりなの。

と魔女は言った。マーケットへ行って帰ってきたの。彼女は慌ただしそうに袋を騒めかせた。

魔女はよく喋った。壁にかかっている絵は自分が描いたのだとか、枯れた花しか置かないのだとか。

ご注文は?と尋ねた魔女におすすめを訊くと、一番よく出るのはココアだと言われたので、それを頼んだ。魔女はムンクの古い画集を取り出してきて、私の膝の上に置いた。そして、この絵が好き、あの絵も良い、とどんどんページをめくっていって、『思春期』で止まった。

 

「わたくしのココアはね、子どもと大人の混ざり合った感じをイメージしているのよ。」

 

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ーーー私だ。

魔女の言葉に、思わず身震いをした。呆気にとられているうちに、魔女はレジ横の古びたキッチンへと戻っていった。子どもと大人の混じり合ったココア。私が金沢を選んだのは、ただの偶然などではなかったのかもしれない。それとも彼女にとって、私の悩みなどお見通しだったのだろうか。

「わたくしはね、調合が得意なの」と言いながら、魔女は随分長くココアをぐつぐつと煮ていた。次々に常連客が店を訪れる間も彼女はたくさん話した。心臓が悪くてね、お医者様に長い時間働いてはいけないと言われているの。不規則に店を開けるのはそのためらしい。

 

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魔女が持ってきてくれたたっぷりのココアは、信じられないくらい美味しかった。思春期の味。苦くて甘い。少し酸っぱくて、やっぱり苦い。

 

ありがとうございました、と画集を返すと、魔女はまたいらしてくださいね、と店を開ける前に買ってきたらしい煎餅やチョコレートをたくさんくれた。

 

すっかり暗くなった街を歩きながら、息をするくらい自然に、また来よう、と思っていた。

 

素敵に生きよう。素直に生きよう。いまだに長い長い思春期にいる私だけれど、いつか綺麗でかっこいい大人になるために。

 

 

 

新しい髪型は、思いのほか私によく似合っていた。

 

 

 

#お気に入りのお店 #金沢 #旅行記 #旅エッセイ

 

月明りの射す寝室で背表紙を撫でるとき官能的な気分になるのは何故なのだろう

 

TwitterInstagramでは最近、#BookCoverChallenge というハッシュタグとともに素敵な本がたくさん紹介されている。日本語で #7日間ブックカバーチャレンジ ともいわれるこのチャレンジは、読書文化の普及に貢献するためのもので、好きな本を7日間にわたって一日一冊、本についての紹介は一切必要なく、表紙のみを写した写真を投稿するというもの。

本に救われ、本に学び、本と生きる私も、自分の愛しい本棚を見返して、美しく教養深まる7冊を選んでみた。

 

𓂃Day 1

たゆたえども沈まず / 原田マハ

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19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいた。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる無名画家ゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その奇跡の出会いが〝世界を変える一枚〟を生んだ。読み始めたら止まらない、孤高の男たちの矜持と愛が深く胸を打つアート・フィクション。

 

一冊目、『たゆたえども沈まず』は画家・フィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオ、そして二人の日本人画商の軌跡のお話。マハさんは実在した人物たちを臨場感あふれる筆致でたいへん魅力的に描かれるので、読み終えた頃には、ゴッホという、現代の私たちにとっては遠い遠い存在であるはずの、何百年も前に生きた画家とその弟のことを、まるで家族や親しい友人のように大切に思えてくるほど。

 

𓂃Day 2

もし僕らのことばがウィスキーであったなら / 村上春樹

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シングル・モルトを味わうべく訪れたアイラ島。そこで授けられた「アイラ的哲学」とは? 『ユリシーズ』のごとく、奥が深いアイルランドのパブで、老人はどのようにしてタラモア・デューを飲んでいたのか? 蒸溜所をたずね、パブをはしごする。飲む、また飲む。二大聖地で出会った忘れがたきウィスキー、そして、たしかな誇りと喜びをもって生きる人々――。芳醇かつ静謐なエッセイ。

 

どこの世界でも、職人ほど気高く柔軟で、寡黙で雄弁な存在がいるだろうか。村上さん自身も作家であり、無から価値あるものを生み出す"つくり手"。私たちのことばがウィスキーでなくとも、村上さんのことばによって職人の意思が、伝統が、日々が、舌の上を伝って喉の奥まで流れ込んでくるような ウィスキーの香り漂う、珠玉の旅行記

 

𓂃Day 3

BEYOND TIME / Gwen Frostic

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中学一年生から高校一年生の夏までアメリカで暮らしていたのだけれど、その当時にたいへん良くしてもらっていた女性に戴いた本です。私が今まで生きてきたなかで、もっとも美しい贈りもののひとつ。優しい秋の森の世界が和紙のような手触りの紙の上で素晴らしく繊細に描かれている。

 

𓂃Day 4

恋人たちの森 / 森茉莉

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頽廃と純真の綾なす官能的な恋の火を、言葉の贅を尽して描いた表題作、禁じられた恋の光輝と悲傷を綴る「枯葉の寝床」など4編。

 

森茉莉さんは森鴎外の娘で、それはそれは可愛がられたお嬢さま。日本に住んでいらした彼女だけれど、「ここはフランス…?」と錯覚するような、なんでもない毎日に美を見出すその魔法の眼がすき。麗しい男性同士の恋愛を描いたどこまでも耽美な小説。

 

𓂃Day 5

人類学とはなにか / ティム・インゴルド

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他者と“ともに”学ぶこと――
他者と向き合い、ともに生きるとは、どういうことか。
人類学は、未来を切り拓くことができるのか。

 

私自身が人類学を勉強している大学生であることを抜きにしても面白い本。インゴルドはイギリス人の凄い人類学者なのだけれど、いかんせん難解。平易な言葉が使われているはずなのに、突然宇宙に放り出されたかのような裏切りに遭うことも。が、アートと人類学は割と密接な関わりをもっていたりするので、芸術がお好きな方は興味深く読めるのでは。

 

𓂃Day 6

みずうみ / テオドール・シュトルム

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月の光に浮び上る少女エリーザベトの画像。老学究ラインハルトはいま少年の昔の中にいる。あのころは、二人だけでいるとよく話がとぎれ、それが自分には苦しいので、何とかしてそれを未然に防ごうと努めた。こうした若い日のはかない恋とその後日の物語「みずうみ」他北方ドイツの詩人の若々しく澄んだ心象を盛った短篇を集めた。

 

朝露に濡れる青林檎のような、みずみずしくも切ない短編集。初恋の煌めきや淡い少年少女時代が繊細に描かれていて、あたたかい日に公園のベンチで読みたくなる一冊。

 

𓂃Day 7

30-SECOND PSYCHOLOGY / Christian Jarret

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This title takes the top 50 strands of thinking in this fascinating field, and explains them to the general reader in half a minute, using nothing more than two pages, 300 words, and one picture.

 

心理学に興味があった中学生のときに購入したもの。心理学の基礎の基礎、を1項目につき30秒で学べますよ、という優れもの。すべて英語で書かれているけれど、そこまで難しくないので英語の勉強にも向いているかも。全ページに載っている絵や写真がとてもお洒落なので楽しく学べて良い。

 

以上、私の最近の本棚から選んだ7冊でした。

また #名刺代わりの10冊 も紹介しようと思います。

 

 

 

#おうち時間