ムンクの思春期と心臓の悪い魔女

 

私は仄暗い子どもだった。

小学生のときからずっと勉強を強要されてきたからかもしれない。私のような子どもは少なくないだろうけれど、父が東京で一人暮らしをしている私の家庭では、母の存在が絶対であり、私は母がなによりも怖かった。

深夜二時まで母に怒鳴られながら塾の宿題をして、成績が落ちれば車の中で永遠に叱られる。そんな日々を小学六年の夏まで繰り返して、ある日、父のアメリカ赴任が決まった。

母は、私の中学受験を辞めた。そこに私の意思はほとんどなかった。

 

アメリカで三年間暮らした。その間に、私たち家族の関係性は大きく変わったように思う。というのも、日本では絶対的な力をもっていた母が、アメリカにおいてはたいへん無力な存在になったからだ。

母以外は現地の学校や職場で英語を使うようになり、それぞれ日常会話には困らない程度にまで話せるようになった。母だけが英語を話すことができなかった。母は私のことを放任するようになった。

けれどアメリカの自由で残酷で美しい日々は私にとって重荷ではあったものの、重圧などでは決してなかった。毎日好きなだけ本を読んで、ヴァイオリンを弾き、詩や小説を書いて過ごした日々。あの頃から私は、「伝説の少女」になることーーーすなわち、大人になる前に死ぬことーーーを夢想して生きてきたように思う。

そして今、21歳になったばかりの私は相変わらず、ふとした瞬間や眠れない夜に、死の想像に囚われて息ができなくなることもあるけれど、「死ねない」という想いが強い。生きること。それは本当に、本当に重い荷物だった。それでもあの日、19歳最後の日に、私自らが背負うと決めたことだ。

 

私の意志で、生きるということ。

 

 

19歳最後の日。

未成年と成年の狭間。ただの数字とはいえ「大人」になることに耐えられなかった。誰も私のことを知らない場所に行こう。いてもたってもいられなくなって、その日の早朝、赤い口紅にiPhone、ハンカチと財布だけを小さなチェーンバッグに入れて、金沢行きの特急列車の当日券を買った。

特急列車に揺られながら当時の恋人に報告すると、「何しに行くの?」と訊かれた。死にに行く、とは言わなかった。

金沢駅は思っていたよりも人がたくさんいて、普段大阪で暮らしている癖に人混みに酔ってしまう私は逃げるように水辺を求めて、寂れた沿線に飛び乗り、誰もいない砂浜を目指した。車窓の景色をぼんやりと見つめながら、なぜ私はこんなところにいるのだろう、と考えた。

 

私は、こんなところまで、いったい何をしに来たんだろう。

 

不思議と、死のうという気持ちは失せていた。

代わりに、これまで私が避けてきたいろいろな「重荷」ーーー大人になるということ、責任を負うということ、選択をすることーーーを背負うことのできる私にならなければならない、と思った。生まれ変わらなきゃ。私は、19歳の私を殺して、20歳の私にならなければ。

 

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たどり着いた駅は玩具みたいだった。当然のように無人で、プレハブ小屋のような簡素すぎる駅。結構歩いてようやく見つけたコンビニでハサミを購入して、勇ましく海へ向かう。

 

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春の海は、優しい香りがした。

 

 

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誰もいなかった。その後もほとんど人が来ることはなく、私はひとり、美しい海と光のなかでゆらゆらと風に揺られていた。

私は波打ち際を歩いているような感じで生きてきた。生と死、現実と幻想、本当の私と取り繕った私。

本物の波打ち際を歩きながら、この姿勢は今後も変わらないだろうと思った。

 

 

過去の自分なんて他人だよ。

そう言い切った私がいた、そしてこの日もそうだ。19の私を殺して、綺麗でかっこいい大人に「生まれ変わろう」として、こんなところに逃げてきている。

それは違うよ。

と言われた。過去の自分を積み重ねて今の自分があるのだと。

 

ーーー私は自分の人生を背負うのすら面倒だったのだな。

 

友人に、あんたは重いもの持てないもんね、と言われたことがある。人を巻き込んだ選択ができないよね、とも。

重たくなりたくなかったのだ、薄っぺらい自分としか付き合ってこなかったから、友情とか愛情とか優しさとかその他もろもろのいろんな大切なものたちを、全部全部綿毛みたいに吹き飛ばしてきたから。耐えられない。

何かを背負うのが大嫌いで重くてずっと逃げてきた私は、無知で無粋で無邪気だった。ずっと子どもでいたかった。重いものは親に託して蝶々を追いかけて笑うだけの子どもでいたかった。

 

なに甘ったれてんだよ。

 

 

 

 

 

砂浜に座って、私は、長かった髪を肩まで切った。コンビニで買った紙切りハサミで。

すとんと消えたその重みに思わず笑ってしまった。私は、いつまで経っても思春期の真っ只中にいるみたいだ。しばらく笑いが止まらなかった。

短い髪に戸惑いながら、でもすぐに慣れて、「これから」のことを考えた。逃げるなとは言わないよ。私は私に呟いた。私は自分に甘いから。逃げたくなったらまたこうして逃げればいい。そのたびにまた戻ってこられたらいい。私を見失わないでいれば、それでいい。大切なひとたちを大切にできるのならば、それで。

 

 

しばらく海を眺めた後は、ひとり金沢を楽しんだ。

 

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恋人にだけお土産を買って、落下する夕方に追われるように、魔女がいると噂の純喫茶ローレンスへ向かった。ずっと前から気になっていたのを最後にふと思い出したのだ。


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開店時間は毎日違うらしいけれど、怪しげなコンクリートの階段を上って扉を開けると、店内はまだ仄暗く、ベルの音に反応した魔女が、いらっしゃい、と声を上げた。

 

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ちょうど今来たばかりなの。

と魔女は言った。マーケットへ行って帰ってきたの。彼女は慌ただしそうに袋を騒めかせた。

魔女はよく喋った。壁にかかっている絵は自分が描いたのだとか、枯れた花しか置かないのだとか。

ご注文は?と尋ねた魔女におすすめを訊くと、一番よく出るのはココアだと言われたので、それを頼んだ。魔女はムンクの古い画集を取り出してきて、私の膝の上に置いた。そして、この絵が好き、あの絵も良い、とどんどんページをめくっていって、『思春期』で止まった。

 

「わたくしのココアはね、子どもと大人の混ざり合った感じをイメージしているのよ。」

 

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ーーー私だ。

魔女の言葉に、思わず身震いをした。呆気にとられているうちに、魔女はレジ横の古びたキッチンへと戻っていった。子どもと大人の混じり合ったココア。私が金沢を選んだのは、ただの偶然などではなかったのかもしれない。それとも彼女にとって、私の悩みなどお見通しだったのだろうか。

「わたくしはね、調合が得意なの」と言いながら、魔女は随分長くココアをぐつぐつと煮ていた。次々に常連客が店を訪れる間も彼女はたくさん話した。心臓が悪くてね、お医者様に長い時間働いてはいけないと言われているの。不規則に店を開けるのはそのためらしい。

 

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魔女が持ってきてくれたたっぷりのココアは、信じられないくらい美味しかった。思春期の味。苦くて甘い。少し酸っぱくて、やっぱり苦い。

 

ありがとうございました、と画集を返すと、魔女はまたいらしてくださいね、と店を開ける前に買ってきたらしい煎餅やチョコレートをたくさんくれた。

 

すっかり暗くなった街を歩きながら、息をするくらい自然に、また来よう、と思っていた。

 

素敵に生きよう。素直に生きよう。いまだに長い長い思春期にいる私だけれど、いつか綺麗でかっこいい大人になるために。

 

 

 

新しい髪型は、思いのほか私によく似合っていた。

 

 

 

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